四次元散歩
こんにちは。引っ越し魔のえトわです。
今回は趣向を変えて、センチメンタルに国立市をご紹介します。
二年前に書いた「くにたちには、思わぬ所にどこでもドアがあるよ」というお話です。
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【 四次元散歩 】
東京のずっと西の方、国立(くにたち)市に住み始めて早二年。用もなくウロウロと歩き回っていたおかげで、すっかり慣れた。
近所の帽子屋の窓猫には、いつも冷たくあしらわれるけれど、よく行くカレー屋のインド人たちには、手を振ってもらえる。
ちなみに、このカレー屋の日替わりメニューは攻めている。
アップルカレー(りんごの主張がすごいけど、素晴らしく美味しい)に始まり、メロンと海老のカレーなど。時々、ふつうに「かぼちゃとチキン」だったりすると、がっかりしてしてしまう。
この日替わりメニューをチェックするため、用もないのにわざわざ店の前を通過してみたりと、日々ウロウロするのに飽きない街だ。
そんな国立で暮らし始めて二回目の夏。
陽が傾き始め、気持ちのよい風が吹き出した午後、散歩に出掛けた。
というのも・・・・
私のしょうもない趣味のひとつに引っ越しがあって、平均して二年に一回は引っ越すということをしている。暇さえあれば賃貸サイトでめぼしい物件を検索してみたり、このように散歩しつつ人様のお宅を見て回り、どこに越そうか考えを巡らす・・・という、不審きわまりないことをしていた時のこと。
なんてことのない路地裏に、なんてことのない築三十年くらいのマンションをみつけた。
三階建てで、一階は古本屋さんになっている。
中をのぞいてみると、椅子やテーブルが並べられていて、一部がカフェスペースになっている。カフェと言っても、おしゃれなそれとは違い、家庭の食卓のような雰囲気だ。
懐かしさに惹かれ、中へ入ってみると、ふわりと実家のにおいがした。
食卓の上には、握りたてと思われるおにぎりが並べられ、奥からは、かすかに焼き魚とお味噌汁のにおいがする。
どこからともなく、夕方の五時を知らせる鐘の音が聞こえてきた。
一瞬自分がどこにいるのかわからなくなった。
鐘の音を聞きながらぼんやりしていたら、奥から年齢不詳の女性がぱたぱたと出てきた。
浅黒い肌に眼鏡をかけ、短い髪をした女性は、
化粧気のない笑顔で「いらっしゃいませ」と言った。
はっとして、ここは国立の路地裏の古本屋さんだと思い出した。
初めての場所なのに、この安心感はなんなんだろう。
所狭しと敷き詰められた古本を眺めながら思う。
古い本に染み込まれた、時間の記憶たちが混ざり合って、この繭の中のような四次元空間ができてしまったのか。
奥へ進むと、これまたムーミン谷に住んでいそうな、ひょろっとした若い男性が、レジ番をしながら本を読んでいた。
私に気付くと、長い前髪の奥からそっとあいさつをしてくれた。
柔らかな眠気を感じながら、静かな店内を物色してまわる。
しばらくして、店のドアが開く音がしたので目をやると、先ほどの女性が、おにぎりやおかずをお盆にのせて外に出ていくところだった。
ちょうど夕ご飯時だし、誰かのとこへ出前にでも行くのかな〜と、後ろ姿を見送った時、
どきっとした。
彼女の背中には、懐かしのナップザックが背負われていた。
小学校の家庭科の時間に苦労して作った、あの巾着型のだ。
年季の入った大きなきんちゃくは、彼女の身体の一部のように背中に張り付いていた。
私も、同じものを持っていたはずだ。
自分で作ったことがうれしくて、毎日のようにランドセルの上から背負ってたのに。
どこへいってしまったんだろう。
急に、涙がでそうになった。
私がなくしたものを、大切に持っている彼女。
誰かが読み終えて、いらなくなった本たちが並ぶ本棚。
ずっとそこで、みんなのごはんを見守ってきた食卓。
全部が優しすぎた。
もしも、なにかとんでもないことが起こって、
たいして仲の良くない家族や、数少ない友人、
奇跡的にできた恋人まで、みんないなくなってしまったとして。
それでも、この場所があれば大丈夫。きっと生きていけると思った。
人間関係や社会的活動を極力避けたいと思っている、ひきこもりな私にとって、きっと最後に行き着く場所は、こういうところなんだろう。
ふいに見つけたオアシスが、蜃気楼でないことをただただ祈る。
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